10/4~10/10の七日間は、岩屋保健センターを会場に「ちょっとハピくるまつり」と題して、岩屋の古い町並みの写真展示と、昔語りの会を開催しました。
来場時にご記名いただいた数は519名。複数回来場されたり、ご記名されない人も多くいたので、実際は600名近い来場があったと思います。あまり家を出ないおばあちゃんやご主人さんを誘ってきてくれた方、施設の職員や家族と車いすで来場された方。島内外の友人知人を呼んで一緒にきてくれた方など、たくさんの出会いがありました。ほかにも介護職員が会場に持参したタブレットで施設とつなぎ、デイの利用者がオンラインで参加して好評だったようです。
会場ではそれぞれの写真の前で当時の思い出話に花が咲き、2時間近く滞在される方々も見られ、近くの商店では、「行ってきたよ」と朗らかに話す人が多くあったと聞きました。事務局にメールで感想が届いたり、たくさんの人が足を運んでくれた七日間の福祉祭りは、身体も気持ちもつながりも行き交う、岩屋の町がちょっと元気になるきっかけになれたのではないかと感じます。それは福祉まつりの在り方について話し合いを重ね、企画のアイディアを持ち寄ってくださった、そして準備から実施、片づけまで一緒にしてくれたボランティア代表者会や社協いわや運営委員会の願いでした。多くの方と仲良くなれたことも事務局の大きな財産です。
 
今回いろんな方から岩屋の話を聞くことができました。そのなかで一つ、『なぜ、岩屋にはてんやもんや、おかず屋さんが多くあったのか』について新しい気づきがありました。これまで私が伝え聞いていたのは、岩屋が漁師町であるので、漁から帰ってそのまま銭湯で汗を流して、肉てんやてんやもんを食べたり買って帰るから、銭湯が多くあった様に、食べるタイミングが違うということが理由の説でした。ところが今回会場で聞いた話では、岩屋はマッチ工場で働く人が多く、「あんたとこはハンマー柄か、うちは桃柄や(当時マッチ工場は2社あった)」と、マッチに関わる内職をしている家も多かったから。カンカンに出る女性もおるし、女性の多くが就労するまちだから、おかず屋さんなどの「てんやもん」が重宝されていたという説です。
そういえば岩屋は様々な会で役を担う女性が、ほかの地域と比べて多い気がします。お祭りでも女性が大活躍しています。岩屋は昔から、女性の社会参画がすすんだ、時代を先取りしたまちだった‼のですね。
 
 今回のイベントでは、「写真」や「語り」を通じて、時代に応じたまちの営みを知ることができました。昔からある風習や行事は「人の力」が合わさることで、「気持ちが行き交う場」となっていたようです。その「楽しさ」が岩屋における地域参加の源となっていたのではないでしょうか。
 新型コロナは私たちから多くの参加する機会を奪いました。その一方で、参加によるつながりの大切さにも気づきました。今なお「参加する機会」に恵まれない方々いらっしゃいます。私たちは地域に住む誰もが「参加」できる機会を地域の皆さんと一緒に考え、創造していきたいと思っています。
 最後になりましたが、今回貴重な写真や資料を提供してくださった皆様に心より感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。